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厳しくされたから成長できた?厳しい指導が大間違いな理由

2020 6/01
厳しくされたから成長できた?厳しい指導が大間違いな理由

こんにちは。私は看護師をしておりまして、この看護の世界というのは異常なほどに厳しい世界だと感じております。

はっきり言ってこの厳しさは無駄です。大嫌いです。

私がなぜ、厳しい指導が嫌いなのか理由述べていきます。

目次

厳しくされたから成長できたは勘違い

先輩方はよく言います。

あの時は辛かったけど、あの厳しさがあったから成長できた。今の自分があるのはあの厳しさを乗り越えたからだ。

はっきり言ってこれは、本人がそう思いたいだけです。

厳しくされたから成長できたということは、厳しくされなかったら成長することができなかったのでしょうか?

人は厳しくされるほど、より成長できるのでしょうか?

そんなことはありません。

私の看護師としての視点でお話しますが、学生から看護師になり医療の現場に出て、何も学べないなんてことはありません。

採血、注射、シャワー介助やトイレ介助、緊急時の対応、どんな時にドクターに報告が必要かの判断、学ぶことは多くあります。誰だって最初は学ぶことだらけ、刺激的なことだらけです。

厳しくされたから成長できたと思うのは、ただ本人がそう思いたいだけの可能性が高いです。

人は何か辛い経験をしたとき、その辛さにも何か意味があると思おうとします。

こんなに辛いんだから、辛さに耐えることで何か得られるものがあるはず。
神様は乗り越えられる試練しか与えない。
この辛さにも何か意味があるはず。

といった具合に。

「辛い体験にも意味がある」と意味づけすると、どんなに辛くても乗り越えることができます。

しかし「こんなに辛いけど、その辛さに意味なんてないよ。でも頑張って耐えてね」と言われると、耐えることなんてできないです。

だから、辛いことに耐えることで成長できる辛いことに耐えたから成長できたと意味づけしようとしているだけです。

辛いことに何にも意味がなかったなんて、認めたくないから。

本当は、厳しさ、辛さなんてなくてもあなたは成長できたのかもしれません。

「医療は命に関わる仕事だから厳しいのも仕方ない」のウソ

会社員をしている友人に「看護師はやたらと厳しくて嫌だ」と言うと、

まあ医療は人の命に関わる仕事だから、多少厳しいのも仕方ないんじゃない

と言われてしまいました。

友人が共感してくれなくて、なんでわかってくれないの!と心底失望しました。 たぶん私は共感してほしかっただけなんだと思います。愚痴なんて言うもんじゃないです。

まあそれはどうでもいいんですが、この「医療は人の命に関わる仕事だから厳しくても仕方ない」

これ!

「人の命を扱う仕事だから」

これを理由にすると、どんな理不尽なことも許されてしまうんです。

しかしはっきり言ってどうでもいいところに厳しかったりします。

他の人が同じことをしてもスルーするのに、目をつけた人がすると指摘したり、

AでもBでもどちらでもいいようなことでなんでBにしたの!と必要以上に怒ってきたり、

人によってやり方は色々なのに、新人がやったとわかると「自分のやり方と違う」というしょうもない理由で怒ったり、

新人が人間扱いされず、透明人間かのように目の前で悪口言われたり、

そんなふうに厳しくする必要ありますか?

いやないでしょ

どう考えてもない

百歩譲っても、先輩から無視されまくって意地悪されて、目の前で悪口言われて人として成長できた!とか

ない

ないでしょ普通に。

仕事の内容で厳しくするならわかります。

しかしどう考えてもどうでもいいことで厳しい。命に関係ないところで厳しいです。

仮にですよ、人の命に関わるから厳しくするのも仕方ないのだとしても、厳しすぎて相手が委縮してしまうこともあります。

そうなると逆にミスの元です。命に関わるミスが起こるかもしれません。

この薬、これでいいのか不安だけど先輩が怖くて聞けない。
ミスしたけど報告したら怒られるから黙っとこ。

なんてこと、実際にあるかもしれません。

ていうか実際けっこうやばいミスを怒られるの嫌だから隠ぺいした話、聞くことありますよ。

そうやってコミュニケーションが円滑にとれないと、いずれはインシデントに繋がります。オープンな環境じゃないと、ミスを報告せず自分の中に埋葬することも、あるかもしれません。

命に関わる仕事だからこそ、コミュニケーションをとりやすいようにお互い気を遣うべきではないですかね。

厳しさの原因は上下関係の価値観

なんでそんなに厳しいのか?その原因を探ると「上下関係」の価値観に行きつきます。

もちろん忙しいから、相手に対する気遣いをしている余裕がなくてついきつく当たってしまうこともあります。

あまりにも忙しくそういう現状があるのもわかります。

しかしそれでも、目上の人をぞんざいに扱ったりしませんよね。

先輩後輩の関係で自分より上と認識した人に対しては、どんなに気の強い人でもそれだけで一目置いてしまうものです。

しかし逆に自分より下だと認識してしまうと、どんなに失礼な態度をとっても許されます。

厳しくしてもいい、何を言っても自分のほうが先輩だから失礼にはならない。

そういう甘えが、厳しさとなって表れているのではないでしょうか。

たとえ仕事の立場で上下があっても、私たちは人としては対等です。意志をもつ一人の人間として扱われるべきなのですが、上下関係という価値観があるとどうしても人として対等とは思えないものです。

厳しくする本当の理由は、自信のなさ

先輩が後輩に厳しくする時、そこにあるのはなんだと思いますか。

それは自信のなさです。

後輩に舐められたくない。できない自分を認めたくない。

だから力で相手を屈服させようとします。

自分に自信があればマウントをとろうとしたり、怒鳴ったり威圧して相手を屈服させる必要はないですから。

まあ時々、忙しい仕事の中で後輩の面倒を見るのが嫌で厳しく当たる人もいますが。

先輩の立場になってきてわかったこと

新人の頃は先輩から何でも言われたい放題でした。

しかし自分が先輩になっていき、新人が入ってきて教える立場になりまわりから言われること

あなたはもう先輩なんだから、しっかり教えてあげてよ
もう先輩なんだから、そんなこともわからないなんて恥ずかしいよ

また転職してきた人が入ってくると

相手のほうが経験は上でも、この職場ではあなたのほうが先輩よ

こんなことも言われます。とにかく人を先輩・後輩という上下関係の枠組みにあてはめて洗脳してきます。

私のとってはそんなのどうでもいいのに、上下関係の序列に囚われない価値観を認めてもらえません。そういうところ、すごく息苦しいです。

それはさておき、人生経験の少ない人や、言われたことをそのまま吸収する素直な人は、そんなふうに言われるとどう思うでしょう?

「先輩」という役割に自分をあてはめ、必死に演じようとします。

自分は先輩なんだ
先輩としてしっかりしなければ

言われるがまま、先輩としてのプライドが育っていきます。

しかし実力が伴っていないので、そのプライドは傷つきやすいものです。

下の立場である後輩から舐められないように居丈高になったり、先輩なのに未熟な自分に落ち込んだり、「後輩」から自分のわからないことを質問されると、人に聞いてばっかりいないでちょっとは自分で調べなさいよ!とイラだったりするんじゃないでしょうか。

また厳しく指導されたり先輩からひどい扱いをされてきた人は、

自分は厳しさを乗り越えてきたんだから、あんたも厳しさを乗り越えてここまでたどり着くべき
先輩は新人にきついもの。私だってそうされてきたんだから。
この厳しさに耐えられないのは甘え。私は耐えたから今の私がある

そんなふうに思って新人や後輩にも同じように厳しくする人が多いように感じます。

厳しくすることが指導だと勘違いしているような人もいます。

はっきり言ってそういう先輩・後輩が諸悪の根源です。先輩・後輩の上限関係があることで人としての最低限の礼儀を忘れ、先輩としてのプライドだけは持つようになり、いいことはあまりないように思えます。

仕事に行きたくなくなってしまうほどの指導は、明らかに行き過ぎではないでしょうか。

厳しくなくとも、きっちり仕事することはできます。成長することもできます。

厳しくなくても成長できる

時々、スポーツや教育でパワハラ指導のニュースを目にすることがあります。

そういうとき、加害者側の言い訳は必ず「指導のつもりだった」です。

いやいや、指導だったら何しても許されるってわけではないでしょう!

と思いつつテレビを見ていると、「指導のために厳しくするのは仕方ない面もある」なんて加害者側をフォローするようなコメンテーターもいて、「世の中の認識はそういうものなの??」って驚いたことがありました。

成長のためには厳しい指導が必要と信じ込む人は、どうやら世の中には一定数存在するようです。

だけど、本当に成長するためには厳しさが必要なんでしょうか?

私はそうは思いません。

人間は考えることができるんだから、厳しくされなくても学ぶことはできると思います。

厳しい指導の問題点

厳しい指導の一番の問題は、

相手の個性を潰して恐怖でコントロールしてしまうこと

です。威圧されると委縮してしまい、思ってることが言えなくなります。

いつもはできることもその人の前では緊張してうまくできなかったり、こんなことしたら怒られるのではないかってまわりを気にしてビクビクするようになります。

その結果どうなるか?

自分で考えたことや患者さんのためにどうするべきかで判断するのではなくて、先輩にOKをもらえるかどうかが判断基準になります。

こんなことしたら先輩に注意されるかな、こうしたら先輩は何も言わなかったぞ。そんなことしか考えないようになります。

これって相手にコントロールされた状態です。

大事なのは一人の人間として認めること

当たり前のことなんだけど大事なのは、一人の人間として認められることです。

本当はどんな人だってその人自身の考えを持っていて、個性があります。

年上のほうが偉い、年下のほうが下で能力も劣る。これだってたんなる思い込みや価値観です。

仕事のできるできないに年下、年上は関係ありません。新人でも先輩よりもすごい才能や発想を持つ人だっているかもしれません。

ところが厳しい指導は、個性や自由な発想を許しません。もともと自由で個性のある人を、組織に適応させ画一的な人に仕立て上げるための訓練みたいなもの。枠にはまった人を作ろうとしているだけ。

それが成長と言えるのでしょうか?

個性を潰して組織に適応した人を作るのではなくて、その人自身を個性ある一人の人間と認めた上で、看護師らしい判断や考え方を身につける。それが正しい教育、指導ではないでしょうか。

人の命を扱う仕事だから厳しいのは仕方ない。

でも、個性を潰したり人格を否定したり怒鳴ったり仲間外れにしたり、ただ厳しくすることを「指導」と勘違いしてる人もいますよね。

それは指導でもなんでもないですよ!

というわけで、なんだかまとまりないですが、では!

この記事を書いた人

看護師として働きながらWebサイトを運営しています。自分らしく働くことを応援しています。

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