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看護師の過労死、突然死事件 自分を守るために大切なこと

2020 5/01
看護師の過労死、突然死事件 自分を守るために大切なこと

オーバーワークで心臓発作をおこしたり、自殺してしまう過労死。

誰でも聞いたことのあるこの言葉は1970年代に生まれたそうです。英語でもそのまま、Karoshi。

海外からしたら働きすぎて死んでしまうなんて、かなり異様に思えるそうですが・・・実は過労死は看護師にも多いです。

目次

過労で死ぬまで働いてしまう原因

最近では大手電機メーカーや銀行でもリストラがすすみ、「大手に就職したら一生安泰」という考えは通用しなくなってきていますが、日本は長らく終身雇用が一般的で、最初に勤めた職場で定年まで働くことが普通でした。そういう価値観は今もあります。

ひとつの会社で長く働き続けるために必要なのは、忍耐ではないでしょうか。

社会人に必要な素養は忍耐力。

すぐに辞めるのはよくない。辛くても3年働けば得られるものがある。

そうした価値観のもと、嫌なことにも耐えて働き続けることが社会的によしとされ、また実際に転職は難しいため、どんなに過労がたまっていても辞める選択をとりづらい。これが理由の一つとしてあると思います。

また日本の働き方の特徴として「就職」ではなく「就社」があります。

自分と会社を、能力や労働力を会社に提供して報酬を得る、というふうにきっぱり割り切った関係として捉えるよりも、会社への所属意識や、自分の人生を預ける共同体のような感覚を持つ人が多いのではないでしょうか。

会社メンバーの一員という感覚があるため、会社という小さな村の中でのけ者にされないよう、組織のルールにむしろ自ら進んで従おうとします。

運悪く、入った会社が長時間労働、サービス残業などが常態化している劣悪な労働環境でも、そういうものだと馴染んでしまったり、その組織のルールにむしろ積極的に応えようとしてしまいます。

またもう少しミクロな視点で個人の心理的に目をやると、自分がいなければ仕事がまわらないという使命感や、大変な中にもやりがいを見出してオーバーワークしてしまう。

仕事で怒られたり厳しくされると、できない自分が悪いんだと自分を責めたり、健気に反省し、なんとか仕事についていこう、相手に認めてもらおうと頑張ってしまう。辞める選択肢もとりづらい。こういうことからうつになり自殺に至ってしまうこともあります。

原因はいろいろですが、共通して言えるのは他の選択肢が見えなくなり、その組織に縛られすぎてしまうことだと思います。

過労死のニュースを聞くと、仕事のために自殺するくらいなら辞めたらいいのに。他にも仕事なんていくらでもある。生きていたらやり直しできたのに。誰もがそんなふうに思います。

選択肢はたくさんあったはずなのに、自分の人生にはそれ意外にないような錯覚に陥り、辞めるというごく普通の選択肢すら考えられないようになってしまう。

だけどこれ、他人事ではなく私たち誰もが陥ってしまう可能性があります。

外側から見ると、他の選択肢がよく見えます。

でもいざ自分がその場に降り立つと、他の道が見えなくなってしまうんです。

看護師の過労死事件

看護師の過労死として知られているものです。

2001年国立循環器病センター、25歳看護師 くも膜下出血

重傷、瀕死、高齢の患者の多い脳神経外科病棟で勤務していた村上優子さん。

3交代制で勤務感のインターバルが短い過酷勤務(看護師にはよくある勤務ですが・・・)、新人教育や看護研究など通常業務以外の業務負担も大きく、過労が溜まっていたようです。(これも看護師にはよくあることですが)

2001年2月13日にくも膜下出血で倒れ、3月10日に亡くなりました。

  • 早出(7:00-15:30)、日勤(8:30-17:00)、遅出(11:00-19:30)、準夜(16:30-1:00)、深夜(0:30-9:00)の5つの勤務シフト
  • 日勤のあとにそのまま深夜勤務が始まり、勤務間のインターバルが5時間程度しかない日が月5回ほどあった
  • 超過勤務、看護研究の準備、新人教育、自宅へ持ち帰った看護研究などを合わせると1か月あたりの超過勤務は100時間を超えていた
  • 部署の平均年齢は師長を含めて26歳。配置されていた看護師のうち5名が新人だった

かなり過酷な労働環境です。平均年齢が26歳と若く、どんどんスタッフが辞めていく激務な仕事だったのでしょう。

2007年5月済生会中央病院、24歳看護師 宿直明けに意識不明になり死亡

2006年から済生会中央病院の手術室に勤務していた高橋愛依さん。

退職者が続出して勤務負担が増えたことで残業、宿直勤務回数も増え、2007年5月、宿直明けに致死性不整脈で意識不明となりました。

高橋さんが働く手術室はもともと26人態勢だが、07年3月末には18人になった。

新人が補充されたが人員不足の状態は続き、高橋さんは4月から5月にかけ、25時間拘束の宿直勤務を8回こなしたほか、土日に働くこともあり、残業は月約100時間だった。

京都府保険医協会

人手不足が長時間労働を生み出し、かなりの過労状態だったことが伺えます。

2012年KKR札幌医療センター 23歳看護師 うつ病を発症し自殺

2012年にKKR札幌医療センターに就職した杉本綾さん。

新卒で看護師として働き始めてわずか8か月後のこと。慣れない仕事、厳しい指導で睡眠は1日2,3時間ほど。

7月、初めての夜勤でインシデントを起こしてしまったことをきっかけにうつ病を発症したとみられ、自殺に追い込まれました。

睡眠不足と緊張がつづく綾さんに対し、先輩看護師の態度は冷淡だった。

母親が入手した新人看護師振り返りシートには、上司の看護師の厳しい指摘が並び、助言や励ましの言葉はほとんどなかった。

次第にミスの回数が増え、自信を失い、つねに不安に襲われながらも、先輩に相談することができない。綾さんはどんどん追い詰められていった。

亡くなられた女性の遺書

「自分が大嫌いで……苦しくて 誰に助けを求めればいいのか 助けてもらえるのか 全然わからなくて 考えなくてもいいと思ったら幸せになりました。甘ったれでごめんなさい」

引用 おしゃべりな毎日から

誰か話を聞いてくれる人がいてくれるだけで救えたかもしれないのに・・・

助かる方法は他にいくらでもあったはず。そう思うと余計に辛いです。

2013年釧路赤十字病院 男性看護師36歳新人

社会人から一念発起して36歳で看護師免許を取得。2013年から釧路赤十字病院で働き始めた村山譲さん。

しかし現実は冷たく厳しい。職場でイジメ、パワハラを受け、働き始めて半年ほどでうつ病を発症、自殺に追い込まれました。

「詰所で、仕事ができない村上さんについて、複数の看護師が話をしていた。村上さんが廊下でばつが悪そうにしていたので、聞こえていたと思う」「村山さんが挨拶をしても上司は無視した態度をとり、周りのスタッフも、村山さんに関わるのが恐怖になり、疎外し、無視するようになっていました」といった証言もあり、譲さんは「人間関係からの切り離し」というハラスメントを受けていたとみられる。

引用 おしゃべりな毎日

まわりから信頼されないとき、人の心は簡単に壊れるんですね。

ニュースにならない過労死もたくさんある

先ほど紹介した事例の他にも、ニュースになることなく人知れず過労死した人、うつ病から自殺に追い込まれる人はたくさんいます。

2010年から2015年までの5年間で、労災と認定された医療関係者は285人です。

うち過労死47人(医師含む)
精神障害と認定された看護師は52人

ちなみにこれは労災と認定された人数です。

労災として申請していない人、申請したけど認定されなかった人を含めるともっともっと多いです。

自分を守るために必要なこと

悲しいことに、過去に何人もの人が過労死したりうつ病で自殺しても、病院の厳しい勤務実態は変わりません。

私たちは病院で患者のために一生懸命働きますが、何かあっても病院は責任をとってくれません。

そんな中、私たち個人にできること。それは

  • 頑張りすぎない
  • 自分を責めない
  • 無理だと思ったらとにかく逃げる

です。自分の身は自分で守るしかありません。仕事は他にもあります。

無理だと思ったら、いったん離れて今いる自分の状況を客観的に見ることが大事です。

この記事を書いた人

看護師として働きながらWebサイトを運営しています。自分らしく働くことを応援しています。

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