免疫療法の看護で学んだ事・感じた事
看護師になって3年目の頃、急性期病棟で消化器外科、整形外科、口腔外科などの術前術後の看護を中心に行っていました。
そんなある日、私の病棟で癌の免疫療法を行うことになりました。
その頃はまだ免疫療法はあまり知られていなかったので、私を含め病棟スタッフは「なにそれ?免疫療法って具体的に何するの?こんな手術とかでバタバタしてるのにできるかな?」と不安で一杯でした。
免疫療法の担当医師や病棟師長の指導の下、具体的な治療内容や患者さんとの関わり方について話し合いました。
免疫療法は保険適用外の治療のため高額ですが、がん患者さんは末期の方も含め藁にも縋る思いで治療を受けにこられます。
患者さんのなかには、「高いお金払っているんだから特別扱いしろ!」というような扱いにくい人や、徐々に弱っていく自分に苛立ち「なんで治療の効果がでない!こんなにつらい気持ちをお前達は分かってない!こっちが言う前にしてほしいことをするのがお前達の仕事だろ!」と看護師に当たり散らす人、癌性疼痛に苦しめられ「痛いんです。何とかしてください。こんな思いするなら早く死にたい」と一日中ナースコールする人などがいました。
私の病棟では、看護師1人につき4人の患者さんの入院から退院までを継続して受け持つ決まりがあり、出勤すれば毎回関わることになります。
もちろん、対応の難しい患者さんや、重症の患者さんについては病棟スタッフやDrを含め、治療に合ったケアプランについてカンファレンスを行い、担当看護師一人に負担がかかりすぎないようにスタッフみんなで協力しあいました。
私の担当患者さんの中で今でも忘れられない人がいます。
Mさん、60代女性、肝臓がん末期でホスピスを紹介されましたが、なにか治療ができないかと、免疫療法を希望し入院された患者さんです。
Mさんはとても穏やかで優しい笑顔の方。全身倦怠感や癌性疼痛、腹水による圧迫感で辛いときも前向きに癌と戦っていました。
私は業務の空き時間を見つけては、Mさんの病室に行っていろんな話をしました。
当時料理が下手だった私に、簡単なレシピや味付けのコツをアドバイスしてくれたり、Mさんの娘さん(すごい美人)の作るケーキが美味しいことや孫の話、私の悩み相談までのってくれてお母さんのような存在でした。
治療の一つのセルミ(マイナスイオンによる治療器)をしばらく使用して、白髪混じりだったMさんの髪が黒髪に変わってきた時は効果が見えた!と手を取り合って喜びました。
でも、実際は腹水が溜まる度に腹水穿刺を行い、痛みと倦怠感でトイレもいけなくなり、食事量も減っていました。
塞ぎこみ落ち込むMさんの様子をDrに伝えましたが「免疫療法を受けに来ている患者さんは積極的治療を望んでいるから、効果がなくても看護師はマイナスな発言をしないように。ホスピスじゃないから励まして治療に取り組んでもらう必要がある。患者さんが前向きに治療できるように関わってほしい。」と言われました。
今でも十分すぎるくらい頑張っているMさんに、これ以上「頑張れ!」と私は言えませんでした。
ただ時間のある限り、ベッドサイドに行き話をしたり、マッサージをしたり、体調のいい日は車いすで気分転換に散歩をしたりしていました。
そして3か月後、治療の効果もなくMさんは亡くなりました。
最期を看取った娘さんと一緒に、私も泣いてしまいました。
その後しばらくして病院に、Mさんの娘さんが手作りのシフォンケーキをもって会いに来てくれました。
「母から、担当看護師さんに私の作るシフォンケーキが美味しいって話したら食べたいって言ってたって聞いていたので作ってきました。いつも忙しいのに私の話し相手をしてくれると喜んでいました。長い間お世話になりました。」と言ってもらえました。
何もできなかったけど、Mさんを想う気持ちは届いていたのかなと少し救われました。
Mさんだけでなく、免疫療法の看護で関わった患者さんの事は10年経った今でも覚えています。
亡くなっていく患者さんが多く、そのたびに自分の無力を感じたり、治療効果が得られず落ち込んだり、当たり散らす患者さんの病室にいくのが憂鬱になったり、末期になるにつれて介護度もあがるため精神的にも肉体的にも辛い日々でした。
そんな毎日の中で、担当看護師として患者さんの悩み、悲しみ、怒り、不安、喜び、希望に寄り添うことはとても難しいことでした。
でも、なるべくそばにいる時間を作り、患者さんの話を聞き、気分転換の方法を考え、患者さんだけでなくその家族との信頼関係を築く重要性を学ぶことができました。
この経験から「病気」を見るのも大切ですが、私はしっかり患者さんの「心」もケアできる看護師でありたいと思い、今も奮闘しています。
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