アメリカの看護に医療に興味をもったきっかけ
私の通っていた大学の成人看護学教授は、東京大学で看護学を学び、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルスにあるUCLA(University of California, Los Angeles)に留学後しばらく現地で正看護師として働いていらっしゃった方でした。
先生は授業の中で
「私がアメリカの病院にいたとき・・・。」
「アメリカの病院は日本の病院と違って・・・。」
「ロサンゼルスは・・・・」
と、アメリカで看護師をしていたときに遭遇したり感動した出来事をよく生徒に話してくださいました。その話を聞くうちに、私も先生のようにアメリカの医療を自分の目で見て勉強したいと思うようになりました。
看護師5年目でアメリカへ行くことを決意

大学卒業後、東京にある大学附属病院で5年目看護師として仕事に脂がのっていた夏のある日。いきなり私の頭の中にフッと“ロサンゼルス”が浮かんできました。それで退職を決意。
「ロサンゼルスで看護の勉強をしたいので、3月で辞めます!」と師長や同僚に言うと、皆驚いていました。
九州最南端出身の私にとっては東京に出てくるのも、ロサンゼルスに行くのも、感覚は同じでした。
とはいってもロサンゼルスに知り合いは全くいません。
若干不安はありましたが、“どんな困難に遭遇しても、自分一人で立ち向かうことができるだろう”という根拠のない自信がどこからともなく湧いてきていました。
師長や同僚は
「まぁ失敗するかもしれないけど、人生一度きりだから、悔いが残らないように行きたいとき行ってくれば?」
「若いうちに自分のやりたい事はしといたほうがいいよ!年をとると体力も落ちてくるしやりようにはできないから」
など優しい励ましの言葉を私にかけてくださり、その言葉に大変勇気づけられました。
渡米直後の生活。思いがけない出来事!
渡米直後の私の英語能力はすさまじく低かったです。
なのでしばらく語学学校に通い、学校で紹介された中国系アメリカ人家族の家でホームステイしました。
2ヶ月ほどたったある日の昼下がり、まさかの出来事が私に起こりました!
学校から帰宅直後、突然右腹部に激痛が走り、床にうずくまったまま立てなくなり、顔から脂汗がダラダラと出てきました。その様子を見たホストマザーが急いで私を救急病院(マイケル・ジャクソンがコンサートの最中急に頭頂部から炎があがり、なかなか消火されず、救急車で運ばれた病院)へ連れて行きました。
検査の結果“急性胆道炎”が認められ、翌朝“腹腔鏡下胆道摘出術”を受けました。
あまりの激痛で救急病院に着いてから手術を終えるまでの記憶はほとんどありません。
しかし、手術翌日には術後の経過が良好とのことで退院となりました。あまりに急な出来事だったので入院生活について詳しくは覚えていないのですが、抗生剤の点滴が私の体に合わなかった(発疹発赤が出現!)ことと病院食がやたらと甘いフルーツゼリーおよびプリンのようなものが多かったことは覚えています。
そしてなんといっても驚いたのは今回の緊急入院および手術にかかった医療費です!
後日、保険会社より今回の医療費約800万円弱(当時1ドル=140円前後でした)全額支払いましたとの連絡があり、私はその高額な値に驚愕してしまいました。
病院を退院して1か月後、体の悪いところをとってもらったおかげですこぶる元気になったので、同じ学校の日本人生徒の紹介で現地のアメリカ人の方々とハウスシェアをすることに。お世話になったホームステイ先を後にしました。
ハウスシェアをすることにより生活の自由度が増し、より勉強に集中することができました。
自動車免許を取得し、自家用車で通学するようになりました(それまではバスで通学していました)。
自分で車を運転し、行きたいところにいつでも行ける!
これは精神的解放感につながり、ストレス発散することができました。
アメリカでみた看護ケアの様子
車での生活に少し慣れた頃、UCLA 医療センターでの看護ケアを見学する機会がありました。
看護ケアは役割分担制(点滴係・尿カテ係・バイタルチェック係・心電図モニター係など1人の患者さんのケアを複数の看護師で役割分担しておこなう)でした。アメリカは役割分担制の看護ケアを取り入れている病院が多いとのことでした。
NCLEX‐RN受験、合格から日本に帰国するまで
渡米後9ヶ月後にTOEFL(Test of English as a Foreign Language)を受け、そのスコアが『563点』だったため、現地のNCLEX‐RN合格のためのセミナーを無事受講することができました(そのセミナーを受講するためにはTOEFLスコア『530点』以上が必要!)。
先生や生徒は皆アメリカ人で、日本人は私1人でした。
授業は英語で、朝から夕方までと長く、質疑応答も活発で、講義終了後はたいへん頭が疲れてしまっていました。
努力は報われ、渡米して1年半でNCLEX‐RNに1発で合格!
テストは76問を1時間半ほどかけて解いた時点で終了したので、その時点で多分合格できただろうと思いましたが、実際合格通知を目にしたときは、実感が湧かず、しばらく頭が真っ白になってしまいました。しばらく時間が経過してから嬉しさがこみ上げてきました。
しかし、これまでアメリカで正看護師として働きたいと思っていたにもかかわらず、日本人看護師を採用してくれる病院をいくつかまわっているうちに、なぜか家族の顔や友達の顔が浮かんでくるようになり、日本に帰りたいと思うようになってきました。
今思えば、NCLEX‐RN合格という一つの目標を達成したことにより、私の心に何か区切りのようなもの(日本へ帰国したほうが良いという、人生における折り返し地点のようなもの)が生じたのではないかと思います。
渡米して2年1ケ月が過ぎ(それまで一度も日本に帰りませんでした)、ようやく帰国しました。
NCLEX‐RNについて
NCLEX‐RNは看護師として病院での経験があると、問題を解く際にとても有利だと思いました。
問題文を読みながら、経験が頭によみがえってくるので容易に解くことができました。
薬学は大変難しかったです。医学英語は大学で習ったことを復習し、カルテの医師の記録を読んでおくと抵抗なく余裕をもって解くことができると思いました。
そしてNCLEX‐RNを受験するにあたり膨大な量の看護学及びそれに関する学問を追求していったので、このことは私の人生において貴重な財産になっていると実感しています。
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